『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』

読了日:2023/12/20

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【この本を読んだきっかけ】

岡田斗司夫さんの動画でイチオシされていたので、興味が湧き購入。

その後しばらくの間眠らせていたのだが、『パリでメシを食う。』を読み、実際に生きた人たちの人生が綴られた本をもっと読んでみたいと思い手に取った。

 

【背表紙のあらすじ】

『ドリトル先生』や『ジキル博士とハイド氏』のモデルとも言われるジョン・ハンターは後世、近代外科医学の父と呼ばれるようになる。しかし混沌とした草創期にあって、彼は群を抜いた奇人でもあった。あまりの奇人ぶりは医学を超え、進化論まで及び、噴き出すような多くの伝説さえ生んだ。遺体の盗掘や闇売買、膨大な標本……ユーモラスなエピソードに満ちた波乱の生涯を描く傑作。

 

【読書メモ】

 

★固定概念に固執することの危うさ★

『生物とは種ごとに本質的に均一であり不変である』――ジョンの兄ウィリアム然り、当時生きていた人々の大半は創造主によって創られたという言い伝えを信じ切っていた。

対照的に、ジョンはそういったことを信じないタイプで、奇形の存在が生き物の機嫌や発生を理解する鍵だと考えていた。

当時、ジョンの考えは危険思考だと思われていたようだが、現代を生きる私にとっては、根拠のない、人が作ったお話を信じ切っていることの方が危険に感じた。

 

他にも、当時の治療は、瀉血や嘔吐、浣腸などが一般的だったのだが、それは紀元前五世紀の古代ギリシャに生きた医学の父ヒポクラテスの唱えた「あらゆる病は、血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁の四つの不均衡によって起こる」という教えを信じ、「体液の不均衡を元に戻す」目的で行われていた。

ジョンはそれに納得できなかった。彼は自分の目で見たものしか信じず、一般的な外科医や内科医がしている治療法はおこなわなかった。

ジョンのおかげで、急進的に医学が進歩した。

 

この二つのエピソードから、わたしは、固定概念に固執することの恐ろしさと、一般的に広まっている知識を盲信的に信じることの退化性を感じた。

自分の見たものを信じる。固定概念に縛られない。当然、それに伴う努力と情熱、探求心があってこそだが、そういう人が新しい時代を切り拓く人なのだろうと思った。

 

★人間らしいウィリアムと、人間らしくないジョン★

 

岡田斗司夫さんがある動画で話していたことを思い出した。

それは、サルにも不平等を感じることができるという内容のものだ。

二匹のサルに異なる餌を与え続けたら、良くない方の餌を与えられていたサルが怒るという実験結果があるらしい。

しかし、サルが怒るのは「同じものを与えられない不平等性」にであり、良い餌を与えられていたサルに対して悪感情を抱くことはないそうだ。

どうやら、そういった感情を抱くのは人間だけらしい。

 

ジョンはサルに近いのではないかとわたしは思った。

この本を通して彼はずっとどこか人間らしくなかった。

それを決定づけたエピソードは、兄ウィリアムがこの世を去ったときのものだ。

 

ウィリアムが死ぬ間際、ジョンとウィリアムの仲は取り返しがつかないほど険悪になっていた。それでもジョンは、床に臥せたウィリアムを治療していたそうだ。

それなのに、ウィリアムはジョンに遺産をひとつも遺さなかった。ちょっと縁のある人にさえ少しばかりのお金を遺したというのに。

 

わたしならブチ切れだ。たぶん兄のことを恨むと思うし、治療なんてしてやらなきゃよかった、なんてことも思ってしまいそうだ。

 

ジョンは違った。ウィリアムの死後、ジョンは講義終わりに教え子たちを呼び止めた。

そして両目に涙をためて、兄の解剖学への後世に残る貢献を讃えたそうだ。

 

ジョンは今までのウィリアムにされた不平等な行為には腹を立てていたが、ウィリアム自身に対しては、尊敬の意と親しみを保ち続けていたのだろう。

 

このエピソードは、人間らしいウィリアムと、人間らしくない――どちらかというと(良い意味で)サルに近い――ジョンの対比がよく分かるものだった。

とても好きなエピソードだ。

 

★どの時代にもこういうヤツがいる――いきすぎた意地と嫉妬でディスリマシンと化した男ジェシー・フット

 

二流外科医ジェシー・フットは、ジョンを批判する記事(本?)を山ほど書いた人だ。

自分の考案した道具を批判された日からアンチ・ジョンにになった。

作中で、『彼はひょっとすると、ハンターの取り巻きに自分も加わりたかったのではないだろうか』と書かれていた。

『フットはへそを曲げ、曲げたへそを生涯もとに戻さずに満たされぬ思いを毒舌でごまかし、ハンターを攻撃することだけでおのれの存在意義を示すという運命に身を投じてしまったのかもしれない』とも。

 

フットはジョンをディスる記事を書くのが「楽しくてしょうがない」と語っていたそうだ。

 

彼のエピソードを読んでいる間、わたしの脳裏にはずっとある存在が思い浮かんでいた。

それは、SNSに蠢く誹謗中傷をしている人たちだ。

好きなアイドルをバカにされたとか、自分にとって気に入らないことを発言したとか、そんな理由で人々を自殺に追い詰めるほど言葉の刃でめった刺しにする人たち。

自分よりも満たされている、幸せそうな人に対して、コンプレックスを爆発させている人たち――

 

昔も今と変わらず、好きなもの、大切なものを否定されて鬼と化す者、憧れや羨望が歪んで異形となる者がいたんだなあ……と、フットのエピソードを読んでいて思った。

これももしかしたら「人間らしさ」なのかもしれない……